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2023/12/18 15:37


TAMAZAWA」は今年で114年目を数える日本最古の野球用品ブランドです。
明治43年に創業し、長い歴史のなかで「野球」というスポーツの発展に大きく携わってきました。

明治時代、相撲や蹴鞠などの「武芸」が主流だった日本に、英国人教師によって「スポーツを楽しむ」という概念が生まれ、野球も発展を遂げていた頃、もちろん職業野球というものは存在していませんでした。
今や国民的スポーツとして親しまれるようになるまでには、玉澤の存在が常にあったのです。
アマチュア野球の先駆けである東京六大学野球との関わりは特に深く、後にプロ野球を発足させ、盛り上げていく当時の選手たちとは密接に野球用具の生産と改良を行いました。
実際に、NPBや都市対抗野球は古くに玉澤が主催し、スポンサーだった大会が前身です。
巨人V9時代(1965年から1973年)には、読売巨人軍へボールやユニフォームの提供を行い、
他にも中日や日本ハムなど多くのプロ球団の契約メーカーとして一時代を築きました。

最近ではカンタマ(=漢字の玉澤ロゴマーク)が、阪神タイガースに所属していたドリス投手(2016-2019)をはじめ、
数名の外国人選手に使用されるなど、グローバル展開もしています。

これからも伝統を絶やすことなく、かつ現代の野球人の期待に応えていけるよう邁進していきます。

玉澤の歴史

1910年、創業者・玉澤敬三が、「田中運動具支店」として新宿で営業を開始する。

1912年、「玉澤バット商会」と社名変更する。

1915年、自社工場でボールの生産を始める。

1920年、都市対抗野球大会の前身となる「関東実業野球大会」を主催する。

1922年、NPBの前身である「日本運動協会」が設立され、メインスポンサーとなる。

1923年、東京六大学野球連盟の公認ボールとされる。

1928年、新宿区山吹町に本社ビルを建設する。

1938年、「株式会社玉澤」と社名変更する。

1957年、東京六大学野球の当時のホームラン記録である第8号が玉澤バットによって放たれる。

1974年、日本初のアルミ製バット「斗魂」完成する。

1984年、「株式会社玉沢スポーツ」と社名変更し、世田谷区に移転する。

1994年、「株式会社スポーツ玉澤」と社名変更し、台東区上野に移転する。

2024年、「株式会社玉澤運動具店」に社名変更し、新宿区に移転する。